みんなで好き勝手言ってるときは結論がでたらその結果に乗ってしまおう。そういうときってたいてい結論がでないものだけど。

小学生のときの話。社会の授業のときだったか。

公害とかなんだとか企業の責任みたいな話になってたんだっけ、そこで「安全な商品を選ぶにはどう選べばよいか」っていうテーマで先生が質問したのね。

で、詳細は覚えてないがいろいろ模範的な回答が同級生からされたんだけど、逆張りしたくなった僕は最後に「売れている商品を選べばいい。売れているのはそれだけ多くの人が選んで安全に使用しているということだから、そこにはある程度の信用がもてる。」というような趣旨を回答。

そうしたら、先生よりも先に同級生の数人から否定する声があがった。「みんなが選んでいる商品が必ずしもいいとは限らない。」という、予想してた反応だったんだけれど。

別に100%の安全性があるなんてつもりでいったつもりじゃなくて「自分でいろいろ調べてみるにも限界があるから、ある程度は人の判断に乗っかるのもいいだろうし、それにヒット商品の類で安全性に致命的な問題があったケースってどのぐらいあるの?」というぐらいの反応をしたんだけど、なんか議論にもならなくてなし崩しに授業が終わった。

みんな自分自身で正しく判断ができるという自信があっていいなー」とか皮肉っぽく「『自分は周りに流されない』と信じきれてて幸せそうだなー」と思ってた。今もそのときのことには同じように思ってる。

「『みんなの意見』は案外正しい」の第一章には、チャレンジャー爆発事故直後、公には事故の原因について一切ふれられていないに関わらず一番株価の下落幅が大きかったのは事故の原因となったブースターを製造したサイオコール社だったということを取り上げたあと、こう記している。

この日、市場が賢い判断を下せたのは、賢い集団の特徴である四つの要件が満たされていたからだ。意見の多様性(それが既知の事実のかなり突拍子もない解釈だとしても、各人が独自の私的情報を多少なりとも持っている)、独自性(他者の考えに左右されない)、分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)、集約性(個々人の判断を集計して集団として一つの判断に集約するメカニズムの存在)という四つだ。

とすれば、小学生当時の僕の考え方は悪くなかったんだなと思う。意見の多様性と独自性は「みんなが買ってるからといって安全だとはいえない」といった同級生のおかげで確保されているし、分散性は商品の購入時に類似の商品と比較することで確保されている。で、集約性はその結果生まれた売上げランキングだろう。売上げランキングの結果は安全性だけで考慮されているものではないけれど、ほとんどの消費者は商品の安全性を考慮して消費活動をしているだろうから、売れている商品は安全と考えてもいいんじゃないだろうか。

安全性の問題が指摘された商品について同種の商品と比較してどのような売上げだったかを調べればこの仮説がほんとうかどうか調べられるんだろうけど、データの取り方もわからないのでやらない。一部の例外があっても自分で売れているかどうかを考慮しないで判断した場合と比べてどうか、っていうところなんて調べようがない。

別に安全性に限ったことではなく、迷ったときは一番売れている商品を選ぶとそれ以外の商品を選んだ場合より満足度は高くなるかもしれないね。もちろん、いろんな思惑がからんだ量販店での売れ筋ランキングとか店員のオススメなんて当てにしちゃダメよ。

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい