頑張ったって、何を?

結果が出た後に「よく頑張った」なんて言がはかれるけれど、何をもって頑張ったと評価したんだ?と聞きたくなったりする。

まあ、こんなこと書いてるのはベスト16敗退に対する反応でそんなんを見たからではあるけれど、同様のことってのは仕事とか試験とかそういう場面でも使われたりするし、それを言うのが家族か友人かはたまた赤の他人かによっても受け取りかたは違うけど。

所詮は自分が期待する結果を出してくれた、と言うことなのに頑張ったというプロセスに対する評価的な言葉を使うのには、勝手な話ではあるけれど、そうではないのに私は結果だけ見てませんよなんて言っているように感じてしまう。結果が別だったらあんたそう言わんだろみたいな邪推から入っていて勝手な思い込みかね。

頑張ったというプロセスを評価するにあたって、どれだけそのプロセスを正確に把握してるんだよ、とかなんとか。見てたとかいうけど頑張ってる最中にはあんた何にも目をかけてくんなかったよね。

サッカーにかこつけて、身の回りや自分自身にかけられる頑張ってるねなんて言葉に対する思いをざっくりと。