告発したら私の責任は終わり。

拓夢ちゃんの自宅前では、近所の人たちが検証の様子を見守り、「自治会から何度も訴えたのに福祉も警察も動いてくれなかった」「こんなことになってから動いても遅い」と憤っていた。

この憤りってやつは、警察だとか児童相談所だとか教師だとかの権威に対して問題を訴えたら、その後の対応は権威が全部被ってくれて当然・それが解決されなかったのは全部権威が悪いっていう感覚なのかな。

確かに権威の仕事と責任はそこにあるのだけれど、権威にだって限界があって必ず解決することが保証されてるわけじゃない。「自分の責任を果たすこと」を第一の目的とするなら告発をしてる時点で充分だと思うし権威の責任を問うのもわかるが、「悲劇を起こさないこと」を第一の目的にするなら権威に残りの対応を預けたままにすることはその目的に対して最大限の努力を払っているとは思えないんだよな。

周りの住民がもっと何かをするべきだった、とは思わない。各人の生活があるからできることも限られてる。だけど、悲劇が起こったことの憤りを単純に警察などに向けているだけだったら、これからも同じことはいくらでも起こるということを理解してるのかな、という疑問があるだけ。

悲劇に対して憤りを覚えるなら、自分がそれに対して何ができたのか必要以上に考えるべきで、その上で「自分には何もできない」という自覚を持つのは全然悪くない。