想像力において「あなたがそうされたらどう思う?」っていうのは必要条件だけど十分条件ではないよ。

憶測と呼ばれてしまうかもしれませんが、想像力を働かせることも必要なのです。

もしid:aozora21さんがritsch-Tratsch - ボランティアについてにある内容のことだけで判断してるのだとしたら、想像力が足りないと思う。

先日友人が某情報番組にて、老人ホームを訪問して傾聴ボランティアをしている方を取材した特集を視た感想を話してくれました。私は視ていないので聞き取りですが、ボランティアの市民もホームのお年寄りと同年代に近い高齢者だったとのこと。ボランティアが自分とさほど年の違わないホームの利用者に向かって、いかにも子どもを相手にしているような話し方であったこと、自分が訪問して話に耳を傾けることをとても喜んでくれていると話す口ぶりや、リハビリを兼ねた軽作業(内容は聞かなかったが、ハンドタオルやエプロンなど洗濯物を畳むなどの作業をしていただくことがある)の出来栄えを褒めそやかす口ぶりに、上から見下ろすような目線を感じ気分が悪くなったそうです。それにも拘らず、番組の司会者や出演者みんなが手放しで賞賛しているのでますますキモチが悪かったそうです。

けれども、人権擁護の観点から高齢者を子ども扱いしないのは基本です。どういった態度が子ども扱いか、本人に自覚が無ければ第三者が判断するしかありません。もちろん、子ども扱いされた高齢者が自ら不服を申し立てれば間違いないのですが、この年代層の被介護者はお世話になっているという立場上不当な扱いを甘んじて受け入れる傾向が強い、言い換えれば遠慮がちであることが多く、自分の要望を表面に出さず我慢してしまう方が多いのです。ボランティアで高齢者と係わり合いを持つ人もそのことを理解する必要があります。

ボランティアする側の話だけでされる側がどうであったかがぽっかり抜けている。「私がそうされたら嫌だからボランティアを受ける側もそうに違いない」と言っているだけ。それは「判断」ではなく「憶測」。

↓のような環境にあるのだから、id:aozora21さんやその友人の方の判断基準はそれだけではないのだと思う。だから、それだけ以外の判断基準の部分「そのボランティアやホームの利用者と同じ世代の親」の話とか、友人の方は番組を見てるのだから番組にでてたボランティアを受ける老人の表情などから考えられることも語ってほしいな、ということ。そうした話のほうが「気分が悪い」「キモチが悪い」なんて議論より説得力がある。

友人も私も同世代でそのボランティアやホームの利用者と同じ世代の親が生存しています。我がことになぞらえてみればそれはおかしいと思うでしょう。

ちなみに、の話だが対象の番組は放送時に見ている。ボランティアに関心がないので試みの一つとして面白いなと思いながら見ていただけ。あの番組だけで何かを判断する気にはならない。