一般的に間違っていることされる行動について制止するか傍観するか。

「友人が明らかに間違った行いをしていたら、それを止めようとするでしょ。」と言われて、答えに窮したことがある。それに対する僕の答えはそのときも今も変わらずに「明らかに、って何を基準にするのさ」ってところになるんだが、そのときは何も答えなかった。そういう会話をしたきっかけはなんだったかはっきりと覚えていない。

「自分自身がもってる善悪の感覚について僕は明らかに間違っていることを定義できるほど自信を持ってないし、あなたはそれについてずいぶんと自信をお持ちなんですね」という感覚があったのは覚えている。具体的な行動を想定せずに「明らかに間違っていること」とかいう定義で問答をやったからそういうことになったのだろう。

無茶な酒の飲み方をする人を止めようとする人に対して「飲みたくて仕方ないんでしょ。寝込んだら放って帰ればいいよ。」なんて本気で言ったり、自殺の報道を見て何で自殺なんかするんだろうねと雑談をすれば「一度死んでみないとその人の気持ちはわからないでしょうね。」とかこれも本気で言ったり、当時はそういうことを言って顰蹙を買う理由もよくわからなかったけど最近は他人がどういう感覚でものを考えるかは多少わかるようになってきたので、まあそう思われて当然だったなと思ったりはする。

もっとも極端な例を取り上げると自殺する人を止めるかどうかなんて話。ドラマや小説でそういうシーンを見て自分がどう対応するかについて妄想してみると、その結果は以前から変わらなくてたぶん傍観して死んでいくさまを眺めているだろうなと思う。正直、そこまでの状況になる人間の心境は僕にわからないし、説得するにもその説得内容を自分自身で支持できるほど善悪の感覚に自信がない。

違ってきたとすれば、ここ数年でようやく1対1の人間関係が増えてきたせいか、そういう関わりがある人たちについては何か違う行動をとるかもしれないなと思えるようになったこと。まあ、そういう変化があることに違和感はないのだけれど「人間の価値観というのはものすごく恣意性に富んでるんだよな」とも改めて思ってしまう。