一方で「自己責任だ!」というくせに、一方で「連帯責任だ!」という人々。

6日に開幕する第87回全国高校野球選手権大会の高知代表、明徳義塾が部員の喫煙や暴力行為で出場辞退するとのことです。
この問題について、

・果たして、連帯責任は必要なのか?
・不祥事に関する高野連の運営方針

等について、思うところをお答えください。

連帯責任は不要である。ただ同じ組織にいるからという理由で、他人の行動により自分に処分が下されるということに対して道理はない。

ただし視点が連帯責任ではなく個人個人に責任があり、その責任を全体にまとめて一括して出場停止という処分になるのなら*1道理は通る。それは連帯責任ではなく個人に対する責任が問われただけだ。

しかし今回のケースはそうではない。部員一人がどのような責任を果たしていないというのか。出場が許可されないまでの処分がくだされるほどの責任を自分は見つけられない。

主な連帯責任必要論に対する反論。

チームの問題だから、防げなかったことに対してチーム全体で責任を負うべきだ。

たかだか一部員に不祥事をとめることができなかったことにどれだけの責任を負わせるのが適切だというのか。

「注意しても直らない」という事態に対しても一部員に責任が発生するのか。その程度の責任なら「不祥事のあった学校の選手」と揶揄される程度の処分で充分とは考えられないか。

不祥事を防げなかった学校には当然処分がくだされるべきだ。

学校にペナルティを課したいなら、出場停止処分は数年後にするなど現在の部員に影響を及ぼさない形での処分を考えればよい。

「不祥事のあった学校の選手」として出場するのは不名誉だろう。

論点のすり替え。他者がどのような視線で彼らを見ようとそれは彼らがどのように感じるかの問題で、彼らが出場を許可されないこととは別の問題だ。

悔しいだろうけれど、それをバネにすればいい。

これも論点のすり替え。不当な責任を負わされることの是非と、それを負わされた人間がどう行動するかは別の話だ。

こうしなければ、不祥事を犯した人間が自分の愚かさに気付かない。

「連帯責任を負わせば反省する」という理屈に根拠がない。

これに類する論で次のようなものがあったからあげておく。

煙草を吸ったものだけを処分して終りでは、単なる足切りにしかなりません。こういう問題は煙草を吸った生徒を責めるだけでは根本的な解決は望めないでしょう。出場辞退という重たい処分を行うことで、学校や家族を巻き込んで根底から見直していくきっかけになるのではないでしょうか。

「殺人をしたものだけを処分して終りでは、単なる足切りにしかなりません。こういう問題は殺人を犯した人間を責めるだけでは根本的な解決は望めないでしょう。国民全員を刑に処すという重たい処分を行うことで、社会を巻き込んで根底から見直していくきっかけになるのではないでしょうか。」

責任は当人に対してのみ問われるものだ。

今までもそうされてきた。

今までしてきたことが間違っている。

*1:今回は厳密には出場辞退であるが、当然高野連の辞退しろという圧力はあったと想像される。この圧力を処分と解釈する。