本質には誰も抗議しない。

JR中央線国分寺駅で今月4日、東京行き快速電車の閉まりかけたドアをこじ開けて乗った男性客に対し、車掌が「駆け込み乗車は危険です。大けがをすることになります。それで大けがをしても、そちら(乗客)の責任です」と車内アナウンスした。

 これを聞いた別の乗客がJR東日本に抗議、同社は「言葉に配慮がなかった」と非を認め、車掌を指導した。だが駆け込み乗車は実際に事故につながる危険な行為。発車が遅れると運転士は、JR福知山線事故でもクローズアップされた「回復運転」を強いられることにもなる。識者は「利用者の側も、駆け込み乗車の危険性と、多くの人が迷惑を被ることを認識するべきだ」と指摘している。

  • 原因は駆け込み乗車をした人間にあるのに、そこに対して抗議がされないのはなぜか。個対JRなら自分自身に対するリスクは限定的であるのに対して、個対個だとリスクが無制限だからか。
  • 車掌の口調が実際にどのようなものだったのかはそこにいた乗客以外はわからない。その車掌のアナウンス内容そのものが常に挑発的だった可能性はないか。だから、駆け込み乗車へのアナウンスが抗議が発生した原因のすべてとは限らない。
  • 車掌にとって駆け込み乗車は非常に由々しき問題だったのだろうが、会社は「所詮はマナーの問題」と考えている。駆け込み乗車をシステム的になくすほうほうは誰も考えない。そのくせ、管理の責任だけ現場に押し付けられる。
  • 15分くらいの遅れなど些細なことだと世間が認めればいいのに。そのためには15分くらいの遅れなど些細なことだと言うシステムが必要だ。通勤ラッシュに同乗している人間のうち、本当に9時までに出勤しなければ業務が成り立たない人間はどれだけいるのか。
  • そして、なぜ、こんなことが新聞記事になったのか。